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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)70号 判決

原告 高山徳一こと

高元河

訴訟代理人

津留崎直美

被告

代表者法務大臣

瀬戸山三男

被告

神戸市

代表者市長

宮崎辰雄

被告ら指定代理人

高須要子

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

被告らは各自原告に対し、金二〇七万二、三八〇円とこれに対する被告神戸市は昭和五一年一月二三日から、被告国は同月二四日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決と第一項について仮執行の宣言。

二、被告ら

主文同旨の判決と担保を条件とする

仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の事実上の主張

一、当事者間に争いのない前提事実

(一)  原告は、昭和三年三月一六日、朝鮮人である父訴外亡高山尹協と同じく朝鮮人である母訴外亡高山沂伯との間の三男として、本籍地の朝鮮全羅南道済州島安徳面東廣里四八五番地で出生し、明治四三年の日韓併合ニ関スル条約により出生とともに日本国籍を取得した。

原告は、その後昭和一三年に母とともに来日し、現在に至つている。

(二)  原告は、昭和二四年三月二八日、日本人である訴外松本ミチエと妻の氏を称する婚姻(以下第一婚姻という)の届出を神戸市長田区長(以下長田区長という)にしたところ、長田区長は右届出を受理し、原告が松本ミチエの戸籍に入る新戸籍(以下第一戸籍という)を編成した。

原告は、その後も一貫して長田区長から戸籍上日本国籍を有するものとして取り扱われた。

(三)  原告は、昭和四六年三月一日、松本ミチエと協議離婚をしたが、その際、婚姻前の氏である高山に復することとし、神戸市長田区二葉町九丁目二番地を新本籍とする旨の協議離婚の届出を長田区長にしたところ、長田区長はこれを受理し、原告が日本国籍を有するものとして新戸籍(以下第二戸籍という)を編成した。

(四)  原告は、昭和四七年四月二二日、韓国国籍の訴外姜宣との婚姻(以下第二婚姻という)の届出を訴外大阪市生野区長にし、同訴外人を日本に招請する手続を大韓民国駐在の日本国公館にしたところ、昭和四八年一月一七日、訴外大阪入国管理事務所長から招請人である原告に対する事情聴取があり、その結果、第一婚姻による原告の日本国籍取得が誤つていることが判明した。

そこで、同事務所長は、同日原告にその旨告知するとともに同月一九日、戸籍法二四条三項に基づき長田区長にその旨を通知した。

(五)  長田区長は、昭和五〇年四月七日、同条二項に基づく神戸地方法務局長の許可をえたうえ、第一戸籍編成以後の原告に関する戸籍事務は、すべて錯誤に基づくものであつたとして消除した。

二、本件請求の原因事実

(一)  法務庁民事局長(以下民事局長という)と長田区長は、過失によつて違法な戸籍事務をした。

(1) 第一婚姻の届出の受理と第一戸籍の編成について

(イ) 昭和二三年一月一日施行された改正民法及び改正戸籍法のもとにおいても、朝鮮人男と内地人女の婚姻の効力については共通法二条二項、法例一四条により朝鮮の法令が適用され、日本の法令が適用される余地はなく、したがつて、改正民法が創設した妻の氏を称する婚姻はできないから、このような婚姻届を受理して内地人女を筆頭者とする戸籍を編成することはできない。

(ロ) 民事局長は、朝鮮人男と内地人女が妻の氏を称する婚姻ができるかどうかを慎重に検討し、万が一にも誤つた指示に基づく戸籍事務が行なわれないように正しい指示をするべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と朝鮮人男と内地人女が婚姻した場合その妻の氏を称する婚姻届を受理して新戸籍を編成することができるとの違法な指示(昭和二三年一月二九日付民事甲第一三六号通達、同年一〇月一五日付民事甲第三、三一一号回答・以下第一次指示という)をした。

(ハ) 長田区長は、法令に従つて正しい戸籍事務を行なうべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と違法な第一次指示に従い、第一婚姻の届出を受理して第一戸籍を編成した。

(2) 第一戸籍の放置と第二戸籍の編成について

(イ) 民事局長は、その後第一次指示を変更し、朝鮮人男と内地人女の妻の氏を称する婚姻届は受理できないと指示(昭和二四年三月三一日付民事甲第六六一号回答等)し、改正民法施行後、第一次指示に基づく取扱いをしている場合には戸籍法一一三条もしくは同法二四条二項に基づき戸籍を訂正するように取扱うとの指示(同年一一月七日付民事甲第二、五七七号回答等・以下右二つの指示を合わせて第二次指示という)をした。

(ロ) 長田区長は、このように取扱いが変更されたのであるから、第二次指示に従い速やかに従来の戸籍を検討して第一次指示に基づき編成された違法な戸籍を積極的に発見し、当事者に訂正の申請をさせるか、もしくは職権で訂正すべき注意義務があり、ことに原告が二度にわたり子の出生届をしたときに第一戸籍編成の誤りを発見する機会があつたのに、これを怠り、長期間第一戸籍を放置した。

(ハ) 長田区長は、昭和四六年三月一日原告と松本ミチエが協議離婚の届出をしたとき、第一戸籍の記載に少し注意すれば朝鮮人である原告が改正民法施行後、内地人女と妻の氏を称する婚姻をしていることを発見できたのにこれを怠り、漫然と協議離婚届を受理して第二戸籍を編成した。

(3) 戸籍訂正事務について

長田区長は、大阪入国管理事務所長から原告の戸籍の編成は法律上許されない旨の通知を受けたのであるから、遅滞なく原告に対し戸籍訂正をする理由及び訂正の方法を通知し、速やかに第二次指示に従つた戸籍訂正措置を講じるべき注意義務があるのにこれを怠り、原告に対し、単に戸籍について話がある旨の不十分な通知をしただけであり、職権訂正まで約二年間放置した。

(二)  国家賠償法六条の相互保証

原告の国籍は韓国であるが、一九六七年三月三日法律第一八九九号によつて制定公布され、三〇日後に施行された大韓民国国家賠償法二条一項は、公務員がその職務を執行するに当り、故意又は過失によつて法令に違反し、他人に損害を加えたときは、国又は地方自治団体は、その損害を賠償しなければならないと規定するとともに、同法七条は、この法は、外国人が被害者である場合には、相互の保証があるときに限り適用すると規定しているから、大韓民国と日本国との間に、日本の国家賠償法六条にいう相互の保証があることは明らかである。

(三)  被告らの責任

民事局長は被告国の機関であり、長田区長は被告国の機関として戸籍事務を処理しており、被告神戸市は長田区長の給与を負担しているから、被告国は国家賠償法一条に基づき、被告神戸市は同法三条一項に基づき、民事局長の違法な指示及び長田区長の違法な戸籍事務によつて原告が被つた損害を各自賠償する義務がある。

(四)  原告の被つた損害

(1) 日本国籍を前提として第二婚姻をしたために被つた財産的損害

金一〇七万二、三八〇円

(イ) 日本で第二婚姻の届出をするために要した韓国への旅費の損害

日本・韓国間四回往復の旅費

金一七万二、三八〇円

(ロ) 許可がおりず無駄になつた姜宣の招請手続費用の損害

金一二万円

(ハ) 別居を余儀なくされた姜宣への毎月の仕送り費用の損害

金七八万円

(a) 毎月最低 金三万円

(b) 当初から韓国国籍で手続をすればおそくとも姜宣を招請できたと考えられる昭和四八年二月から昭和五〇年三月まで二六か月

(c) 三万円×二六月=七八万円

(2) 長田区長の戸籍事務から生じた精神的損害の慰藉料 金一〇〇万円

(五)  結び

原告は被告らに対し、各自金二〇七万二、三八〇円と、不法行為の日の後である被告神戸市は昭和五一年一月二三日から、被告国は同月二四日から(いずれも訴状送達の日の翌日)各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

三、請求の原因事実に対する被告らの答弁と抗弁

(認否)

本件請求の原因事実中、改正民法施行後においては、朝鮮人男と内地人女は妻の氏を称する婚姻はできず、このような婚姻届を受理してその旨の戸籍を編成できないこと、民事局長が第一次指示をしたこと、その後第一次指示を変更し、第二次指示をしたこと、長田区長が第一次指示に従つて第一婚姻の届出を受理して第一戸籍を編成したこと、原告の国籍が韓国であることはいずれも認めるが、その余の事実はすべて争う。

(主張)

(一) 民事局長の第一次指示と長田区長の本件戸籍事務とには過失はない。

(1) 民事局長の第一次指示について

改正民法施行直後においては、同法七五〇条の婚姻の際の氏の協議に関する規定が朝鮮民事令一一条一項但し書により朝鮮に依用されるかどうかについて第一次指示と第二次指示の二つの見解が対立し、一義的に解釈が確立していなかつたから、このような見解の対立のもとで民事局長が当初、第一次指示をしたことに過失はない。

(2) 第一婚姻の届出の受理と第一戸籍の編成について

長田区長は、第一次指示に従つて第一婚姻の届出を受理して第一戸籍を編成したから過失はない。

(3) 離婚届の受理と第二戸籍の編成について

長田区長は、離婚届について届出書類と戸籍簿の記載から、手続上適法な届出かどうかを審査する、いわゆる形式的審査権限を有するにすぎない。

長田区長は、本件離婚届についても、右権限の範囲内で慎重に審査したが、法令の形式的要件を具備していたから、本件離婚届を受理し、戸籍法に従つて第二戸籍を編成した。したがつて、長田区長にはこの点について過失はない。

(4) 職権訂正の経過について

長田区長は、本件戸籍訂正が原告の身分に関する重要な事項であるから直ちに職権で訂正するよりも、原告に事情を説明したうえ自ら戸籍訂正申請をさせるのが相当であると判断し、大阪入国管理事務所長から通知を受けた直後、戸籍法二四条一項に基づき原告に出頭を要請する通知をし、原告の出頭を待つた。

原告は、そのころ、右通知を受領しながら昭和五〇年三月一九日まで出頭を怠つたものであり、同日、自らは戸籍訂正の申請をする意思のないことを表明したので、長田区長は直ちに所定の許可をえたうえ職権で訂正した。

このように職権訂正の経過についても、長田区長は、戸籍法に定める相当な手続をしたから過失はない。

(二) 民事局長らの行為と原告主張の損害との間には相当因果関係はない。

(1) 財産的損害について

(イ) 韓国との往復の旅費について

第二婚姻は有効であるから、無効であるとの前提に立つこの損害の主張は理由がない。また、原告は、第二婚姻の届出を日本でするために韓国との往復の旅費を支出したとしても、それは姜宣がたまたま韓国に居住しているために生じた出費であり、本件戸籍事務と相当因果関係はない。

(ロ) 招請手続費用について

姜宣の査証申請を許可するかどうかは外務大臣の自由裁量に属し、原告の国籍により査証発給の可否が左右されることはない。また招請手続費用は、姜宣がたまたま韓国に居住しているために生じた出費である。

さらに、招請手続費用が無駄になつた原因は、原告が速やかに戸籍訂正手続並びに外国人登録手続をして、その証明書を法務省入国管理局長に送付しなかつたために、同局長はやむなく昭和四九年一月二二日、姜宣の査証申請についての事前審査を中止処分にせざるをえなかつたためである。

したがつて、この損害と本件戸籍事務との間に相当因果関係はない。

(ハ) 仕送り費用について

原告が最初から韓国国籍で招請手続をしたとしても、昭和四八年一月一七日ころに査証が発給されたとは限らないし、原告が婚姻費用を分担するのは当然である。また仕送りを余儀なくされた原因は、原告がたまたま韓国に居住している女性と婚姻したためであるから、本件戸籍事務と相当因果関係はない。

(2) 慰藉料について

原告は、その国籍が韓国であることを知りながら、戸籍訂正手続並びに外国人登録手続をせず、自ら国籍不確定の状態を放置していたのであるから、そのために精神的不安に陥つたとしてもこれを慰藉すべき理由はない。

また、姜宣との別居と本件戸籍事務との間に相当因果関係はないから、別居を理由とする精神的損害と本件戸籍事務との間に相当因果関係はない。

(抗弁)

民事局長が第一次指示をしたのは昭和二三年一月二九日であり、長田区長が第一婚姻の届出を受理して第一戸籍を編成したのは昭和二四年三月二八日であるから、本件訴が提起された昭和五一年一月一二日までに民法七二四条所定の二〇年の除斥期間が経過した。

したがつて、これらの不法行為に基づく損害賠償請求権は消滅した。

四、被告らの抗弁に対する原告の反駁

(一)  被告ら主張の除斥期間経過の抗弁は時機に遅れた攻撃防禦方法であるから却下の申立をする。

(二)  原告主張の損害は、昭和四八年一月一七日大阪入国管理事務所から指摘されて以後に発生したものであるから、除斥期間の起算点はこのときからである。

(三)  被告らの不法行為は、第一次指示から職権消除まで一連の継続した行為であるから、その一部のみが除斥期間に該当することはありえない。

第三  証拠関係〈略〉

理由

一原告の国籍及び原告に関する戸籍の取扱いについての判断

原告は、第一婚姻後、平和条約が発効した昭和二七年四月二八日まで、日本の国内法上、日本国籍を喪失せず、朝鮮人としての法的地位を有していたが、平和条約の発効と同時に日本国籍を喪失し、同時に韓国国籍を取得し、現在に至つている。以下、その理由を詳述する。

(一)(1)  明治四三年八月二九日公布された日韓併合ニ関スル条約により、韓国(同年勅令三一八号により朝鮮と改称・以下朝鮮という)の全領土は日本の領土となり、朝鮮人は、同条約上当然に日本国籍を取得した。

(2)  しかし、朝鮮は、併合後も日本内地(以下内地という)と法制を異にする異法地域であつた。すなわち、朝鮮人は、朝鮮民事令の適用を受け、併合後で朝鮮戸籍令施行前は、民籍法(隆三年法律八号)により民籍に、同令施行後は朝鮮戸籍に各登載された。これに対し、内地人は、民法、戸籍法の適用を受け、内地戸籍に登載された。したがつて、内地人は内地に、朝鮮人は朝鮮に、それぞれ戸籍を有し、内地人が朝鮮に本籍を定めたり、朝鮮人が内地に本籍を有することは法律上許されなかつた(朝鮮人の籍の転属不自由の原則・大正一〇年一二月二八日民事四、〇三〇号民事局長回答等参照)。

(3)  もつとも、朝鮮人と内地人間の婚姻、離婚、縁組、離縁等の身分行為により、朝鮮人が内地戸籍に入つて内地人になり、内地人が朝鮮戸籍に入つて朝鮮人になることはあつた(共通法三条一項)。

(二)(1)  終戦とともに日本は、朝鮮に対する統治権を事実上失つた。しかし、法的には、日本は昭和二七年四月二八日に発効した平和条約二条(a)項で初めて朝鮮に対する統治権を失つたため、同条約発効と同時に日本の国内法上朝鮮人としての法的地位を有した人、すなわち、朝鮮戸籍令の適用を受け、朝鮮戸籍に登載されていた人と、平和条約発効までに共通法三条一項により朝鮮戸籍に入籍すべき事由が生じたが未だ登載されていない人は、日本国籍を喪失すると同時に韓国国籍(本来なら朝鮮国籍とすべきであるが、朝鮮という国は存在しないので、併合前の国号で総称する)を取得した。そうして、朝鮮戸籍に登載されていないが、実体法上、戸籍変動の原因が生じているものは、現実に朝鮮戸籍に登載された人と区別して取扱ういわれはないから、やはり朝鮮人としての法的地位を有すると解するのが相当である(最判昭和三六年四月五日民集一五巻四号六五七頁、最判昭和四〇年六月四日民集一九巻四号八九八頁参照)。

(2)  このように朝鮮人は、平和条約の発効まではなお日本国籍を有し、日本の統治下で朝鮮に適用されていた諸法令は、占領下で変更されない限り、依然として有効であつた。したがつて、平和条約が発効するまでは朝鮮人と内地人間の婚姻による身分変動は従来どおり共通法により処理されるべきであつた。

(3)  原告は、朝鮮人男、松本ミチエは内地人女であり、原告らは、改正民法施行後で平和条約が発効するまでに妻の氏を称する婚姻の届出をしたのであるから、この婚姻による身分変動により、原告が日本人としての法的地位、すなわち日本戸籍に登載されるべき地位を取得しえたかどうか、あるいは、なお朝鮮人としての法的地位にとどまつたかどうかを次に検討しなければならない。

(三)(1)  改正民法、改正戸籍法施行後、平和条約が発効するまでの間になされた朝鮮人男と内地人女の婚姻の成立要件と効力は、いわゆる地域間の婚姻として共通法二条二項により準用される法例(法例は、明治四五年三月二七日勅令二一号「法例ヲ朝鮮ニ施行スルノ件」により朝鮮に施行された)に従つてきまる。そこで法例一四条によると「婚姻の効力は夫の本国法による」とされているから、本件の場合には、夫たる原告が属する地域の法令である朝鮮民事令による。したがつて、問題は、朝鮮民事令上、夫が妻の氏を称する婚姻をすることができるかどうかということに帰着する。

(2)  民法七五〇条の依用についての検討

(イ) 朝鮮民事令一一条一項但し書(昭和一四年一一月一〇日制令一九号「朝鮮民事令中改正」により追加)は、氏に関し、内地の民法を依用している。

(ロ) しかし、同条項にいう氏は、右制令一九号により旧民法下の内地の氏にならつて朝鮮に創設された氏制度を指しているから、当然、旧民法下の家の制度を前提とし、その依用も旧民法七四六条にとどまり、家族に関する同法七三二条は依用されなかつた。

(ハ) 改正民法は、このような家の制度を否定し、これを維持するために旧民法下で認められていた入夫婚姻、婿養子縁組の制度をいずれも廃止した。これに伴ない、氏の観念も実質的に変化し、旧民法下の氏が同一の家に属する集団の共通の呼称であり、家の呼称であつたのに対し、改正民法下の氏は、個人の呼称であり、また家族構成をあらわす戸籍編成上の基準となつた。

(ニ) このように改正民法七五〇条の氏に関する規定は、朝鮮民事令が依用した旧民法七四六条のそれとは、その実質に大きな差異があるから、改正民法七五〇条の規定をそのまま朝鮮民事令に依用することは、法律上も事実上も不可能であるというほかはない。

(3)  朝鮮の慣習についての検討

(イ) 改正民法七五〇条の依用が不可能である以上、本件婚姻の効力は、原則に戻り朝鮮民事令一一条一項本文により朝鮮の慣習によるが、朝鮮では次に述べるとおり、婚姻の際の夫婦の協議により、夫が任意に妻の氏を称する婚姻をする慣習はなかつた。

(ロ) 朝鮮民事令一一条一項本文は、朝鮮人の親族及び相続については原則として朝鮮の慣習によると規定している。このように身分行為について慣習を尊重する以上は、この慣習は身分関係を公証する文書である朝鮮戸籍にも当然反映された。すなわち、ある慣習があれば、当然朝鮮戸籍令にはこれについての規定が置かれていた。たとえば、朝鮮にはかつて招婿婚の慣習があつたが、これは夫が戸主でない家女たる妻の家に入るが、夫の姓は変わらず、相続権もない婚姻((朝鮮総督府法務局・朝鮮戸籍制度ノ概要(大正一二年一一月)参照))である。この慣習は、改正前の朝鮮戸籍令八四条一項四号で成文上認められ、招婿婚の場合には婚姻届書にその旨記載することが要求されていたが、その後、前掲制令一九号で婿養子縁組制度が創設されたことに伴い、その必要がなくなつて当然消滅した。そして、昭和一四年朝鮮総督府令二二〇号で、朝鮮戸籍令八四条は改正され、招婿婚にかわつて婿養子縁組であることが届書に記載されることになつた。また、朝鮮には人夫婚姻の慣習はなく((朝鮮総督府法典調査局・朝鮮慣習調査報告書(明治四三年一二月)参照))、そのため朝鮮戸籍令上は規定されていなかつた。

(ハ) これを本件についてみると、朝鮮戸籍令上、婚姻の際の夫婦の協議によつて、夫が任意に妻の氏を称することが認められる規定がないから、朝鮮では、このような慣習はなかつたとするほかはない。

(4)  原告の法的地位についての検討

(イ) そうすると、本件の場合には朝鮮における慣習上、妻は当然夫の家に入るという原則の適用を受ける(前掲「朝鮮戸籍制度ノ概要」参照)から、内地人女は、共通法三条一項により、当然に内地人の身分を失い、内地戸籍から除かれ、朝鮮人男の戸籍に入ることになる。このことは、結局、改正民法施行後は平和条約が発効するまでの間においても、朝鮮人男と内地人女は、妻の氏を称する婚姻の届出ができないことを意味する。

(ロ) 本件の場合、松本ミチエは第一婚姻と同時に内地人としての法的地位を失い、朝鮮人としての法的地位を取得したが、他方、原告の朝鮮人としての法的地位は、第一婚姻によつてもまつたく変動がなかつた。これを戸籍面からみると、原告が松本ミチエの内地戸籍に入る実体法上の原因、すなわち、戸籍創設原因がないから、第一婚姻の届出は受理要件を欠き、長田区長は第一戸籍を編成することができなかつたのである。結局、原告は、第一婚姻により、内地人としての法的地位を取得することがなかつたことに帰着する。

(四)  結び

以上のとおり、原告と松本ミチエは、第一婚姻後、平和条約が発効するまでは、日本国籍を有していたが、日本の国内法上、朝鮮人としての法的地位を有しており、平和条約の発効と同時に日本国籍を喪失し、同時に韓国国籍を取得した。

二国家賠償法六条の相互保証についての判断

(一)  原告の国籍が韓国であることは当事者間に争いがない。

(二)  大韓民国国家賠償法七条は、相互保証の規定であるから、原告は、本件についてわが国の国家賠償法六条、一条によつて請求できる筋合である。なお、大韓民国国家賠償法は定額賠償制度を採用しているが、その運用の実際を知りえないので、この点を度外視して判断を進めることにする。

三民事局長の指示と長田区長の本件戸籍事務取扱いの過誤についての判断

民事局長が第一次指示をしたこと、長田区長が第一次指示に従い第一婚姻の届出を受理して第一戸籍を編成したこと、長田区長が協議離婚届を受理して第二戸籍を編成したこと、長田区長が昭和五〇年四月七日、第一戸籍と第二戸籍を職権で消除したこと、以上のことは当事者間に争いがない。

そうすると前に述べたことから明らかなように、民事局長の第一次指示は改正民法と改正戸籍法の解釈を誤つた違法な指示である。したがつて、また長田区長の本件戸籍事務は受理要件を欠く第一婚姻の届出を受理し、しかも編成してはならない第一戸籍を編成し、それを前提としてその後の戸籍事務を処理した点において違法である。ただし、これら違法行為についての過失の有無の判断は後述する。

四原告主張の不法行為のうち、除斥期間が経過しているものについての判断

(一) 国家賠償法四条は、同法上の責任については同法一条ないし三条の規定によるの外、民法の規定によるとしているから、国家賠償法上の責任についても民法七二四条が適用され、国または公共団体に対する損害賠償請求権は二〇年の除斥期間が経過すれば消滅する。

なお、原告は、被告らの民法七二四条の抗弁が、時機に遅れた攻撃防禦方法であるから却下を免れないと主張しているが、この抗弁の提出によつて、本件訴訟の完結が遅延させられたものでないことは当裁判所に顕著な事実である。したがつて、原告のこの申立は採用しない。

(二) ところで、前述したとおり違法な行為といえる民事局長の第一次指示は昭和二三年であり、長田区長の第一戸籍の編成は昭和二四年三月二八日である。そうして、原告が本件訴を提起したのは昭和五一年一月一二日であることは本件記録上明らかである。

そうすると、昭和三一年一月一二日より以前の不法行為に基づく損害賠償請求権はすべて除斥期間の経過により消滅したことになるから、民事局長の第一次指示や長田区長の第一戸籍の編成に過失があるかどうかについて判断をするまでもなく、この点についての原告の請求は理由がない。

もつとも、以上の判断は、第一次指示や第一戸籍の編成により、昭和三一年一月までに原告がなんらかの損害を具体的に被つたことを前提にしたものであるが、原告は、この点について原告の被つた損害は、昭和四八年一月一七日以後に発生したものであると反駁している(原告は、その請求している損害中、第一次指示や第一戸籍の編成による損害分として具体的に明らかにしていない。)しかし、原告が本件で主張している損害と被告らの不法行為との間には相当因果関係がないことは後述のとおりであるから、原告の損害の発生が昭和四八年一月以後であるかどうかの判断を必要としない。

五長田区長のその後の戸籍事務の過失についての判断

(一)  第一戸籍の放置について

民事局長が第一次指示を変更して第二次指示をしたことは当事者間に争いがなく、原告は、このように取扱いが変更されたのであるから、長田区長は、従来の戸籍を速やかに検討し、第一次指示に基づき違法に編成されている戸籍を積極的に発見し、訂正すべき職務上の注意義務があつたと主張している。

しかし、第二次指示が長田区長に原告主張のような職務上の注意義務まで課したとは到底解されないから、原告のこの主張はその前提を欠き理由がない。

このことは、原告が、昭和二五年九月一五日長女松本幸子の、昭和三〇年五月一二日二女松本典子の各出生届出を長田区長にしたことによつても変らない。つまり、長田区長は、原告の子の出生届を受理する際、原告の戸籍の記載欄まで精査して原告が朝鮮人又は韓国人であることを発見し、その戸籍が、第二次指示に照らし間違つていることに気付き、その訂正をする職務上の義務まではないといわなければならない。

(二)  離婚届を受理して第二戸籍を編成した点について

(1)  〈証拠〉を総合すると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(イ) 戸籍係員が離婚届について調査する事項は、氏名、生年月日、現在の本籍、離婚の種類、復氏する当事者の本籍、親権事項であり、調査の対象は、届書と戸籍原本の記載に限られる。

(ロ) 訴外三宅愛子は、長田区長の補助者として本件離婚届を審査した。三宅愛子は、昭和二一年一月以来今日まで三〇数年にわたり、戸籍事務を担当してきたベテラン係員であるばかりか、本件より以前に同種事案で戸籍訂正をしたことがあり、その際、第一次指示を変更する第二次指示のあることを知つた。

(ハ) 三宅愛子は、本件離婚届についても通常の離婚届の取扱いに従い、届書と戸籍原本の記載をもとに形式的審査をしたにとどまり、第一婚姻が有効かどうかなどは調査しなかつた。

その際、三宅愛子は、戸籍原本の記載から原告がもと朝鮮人で、昭和二四年三月二八日、松本ミチエと妻の氏を称する婚姻の届出をし、朝鮮戸籍から内地戸籍に入籍していることを知つたが、第一婚姻の届出の日時と改正民法施行の日時について十分な注意を払わなかつたため、第一婚姻は旧法当時で認められていたものと早合点し、原告の日本国籍取得について別段疑念を抱かなかつた。

(ニ) その結果、三宅愛子の審査を経て、長田区長は、本件離婚届を受理して第二戸籍を編成した。

(2)  右認定の事実によると、三宅愛子は、第一次指示が変更されて第二次指示されていることを知つていたのであるから、ベテラン戸籍係員として、戸籍原本に記載された第一婚姻の日時と、改正民法の施行日時に少し注意して審査をすれば、もと朝鮮人の原告が改正民法施行後、内地人女と妻の氏を称する婚姻をし、朝鮮戸籍から内地戸籍へ入籍していること、したがつて、第一戸籍は、第一次指示に従つて編成された違法な戸籍であることを容易に発見でき、本件離婚届を受理せずに、第二次指示に従つて速やかに第一戸籍の訂正措置を講じることができたのに、第一婚姻の日時と改正民法の施行日時に対する注意を怠つた過失により、漫然と第一婚姻は改正民法施行前の婚姻で認められていたものと早合点し、本件離婚届を受理して第二戸籍を編成したものといわざるをえない。

(3)  そうすると、長田区長の事務補助者である三宅愛子に上記の過失があつたのであるから、長田区長の第二戸籍の編成には過失があつたとしなければならない。

(4)(イ)  被告らは、長田区長は離婚届について形式的審査権限があるにすぎず、本件離婚届をこの権限の範囲内で慎重に審査のうえ、法令に定める形式的要件を具備していたから受理したもので、過失はないと主張している。

しかし、形式的審査権限によつてもなお戸籍係員として通常手続上のみならず実体法上の過誤が判明できる場合には形式的審査権限を楯にその無過失を主張することは許されないのである。本件においては、戸籍原本の記載だけから、原告がもと朝鮮人であり、改正民法施行後に内地人女と妻の氏を称する婚姻の届出をし、朝鮮戸籍から内地戸籍に入籍していることが明白であり、しかも三宅愛子は第二次指示を知つていたのであるから、三宅愛子は形式的審査によつても第一戸籍が違法に編成されていることをたやすく発見できたといえるのである。

したがつて、本件においては形式的審査権限を理由とする無過失の主張は理由がない。

(ロ)  証人三宅愛子の証言によると、長田区役所は、本件離婚届受理当時には窓口統合方式をとり、職員三五、六名が住民票、戸籍関係等の事務を兼務して処理しており、戸籍事務の件数は毎日五〇ないし六〇件位であつたことが認められる。

しかし、右事務量だけからは、長田区役所が当時具体的にどの程度繁忙であつたかを直ちに推認することができないし、長田区役所がどんなに繁忙であつたとしても、本件の場合には、現実に審査を担当した三宅愛子の経験と認識からたやすく第一戸籍編成の誤りを発見できた筈であるから、いずれにせよ、三宅愛子の戸籍係員としての過失を否定することはできない。

(5)  結び

長田区長が本件離婚届を受理して第二戸籍を編成したことには過失があつたとするほかはない。

(三)  戸籍訂正事務の遅滞について

(1)  長田区長が、大阪入国管理事務所長から、昭和四八年一月一九日付の原告の戸籍の過誤についての通知を受け取つたこと、長田区長は右通知を受け取つた日から二年以上経過した昭和五〇年四月七日、原告の戸籍を職権で訂正したこと、以上のことは当事者間に争いがない。

(2)  原告は、長田区長が職権訂正をするまで約二年間放置したと主張し、被告らは、長田区長は戸籍法上相当な措置をとつたから過失はないと主張しているので、戸籍訂正の経過について検討する。

〈証拠〉を総合すると次のことが認められ、〈証拠判断・略〉他にこの認定に反する証拠はない。

(イ) 日本国内に居住する人と婚姻した国外に居住する外国人が、同居するために日本に入国するには、日本の在外公館に対し査証申請をしなければならない。

査証事務は外務省設置法に基づき外務省の所管事務であるが、出入国管理事務を担当している法務省との間で査証発給の可否について意見を一致させるため、外務省は法務省(担当は入国管理局)に協議することとなつている。

(ロ) 原告は昭和四七年七月一三日、日本国籍を有することを前提に、姜宣を日本へ招請する手続一切(査証申請から航空券の手配までを指す)を訴外中国観光株式会社に委任した。訴外会社は、右委任に基づき同年一一月二二日、大韓民国駐在の日本公館に対し姜宣の査証申請手続をした。

(ハ) 在外公館から右査証申請書の送付を受けた外務省は、同年一二月初め、査証発給の可否について法務省に協議をした。そこで、同省入国管理局長(以下入国管理局長という)は同月中旬、大阪出入国管理事務所長に対し、保証人である原告の実態調査を命じた。同事務所長は、右下命に基づき、昭和四八年一月一七日、身元調査のために原告を同事務所に呼び出した。

(ニ) 原告は同日、事情聴取を受けた結果、第一戸籍編成以後の本件戸籍事務が間違つており、自分の日本国籍取得はあやまつていることを知つた。その際、同事務所の係員は原告に対し、同事務所長から本籍地の長田区長に原告の戸籍の誤りを連絡するが、原告が戸籍を訂正しない限り、姜宣の査証は発給されないと説明した。

(ホ) 大阪入国管理事務所長は、同月一九日、戸籍法二四条三項に基づき長田区長に原告の戸籍と国籍があやまつていることを通知するとともに、同じころ、入国管理局長に対し、第一戸籍の謄本を添えて同様の回答をした。

(ヘ) 長田区長は、戸籍訂正は原告の身分に関する重要事項であるから直ちに職権で訂正するよりも原告に事情を説明して戸籍訂正の申請をさせるのが相当であると判断し、右通知を受け取つた後、直ちに原告の現住所に宛てて戸籍について話があるから至急出頭してもらいたい旨、同条一項に基づく通知をした。原告は、そのころ右通知を受け取つたが、昭和五〇年三月一九日まで長田区役所に出頭しなかつた。

(ト) 他方、入国管理局入国審査課の係員は同年二月二〇日、原告に対し、国籍(本籍)が不確定な状態では姜宣に対する査証審査は進まないから、至急外国人登録をしてその証明書を審査資料として送付するように要請する旨の通知を出した。原告はそのころ右通知を受け取つたが、外国人登録をしなかつた。そこで、姜宣の査証申請については、原告から外国人登録証明書の送付がなかつたので、入国管理局長は、昭和四九年一月二二日、審査資料不十分を理由に中止処分にし、その旨を外務省に報告した。

(チ) 原告は昭和五〇年三月一九日、長田区役所に出頭し、三宅愛子と訴外古高治郎とに、自分の戸籍と国籍が誤つているから、外国人登録を受けるため、職権で早く戸籍訂正をしてもらいたい旨を申し入れた。そこで、長田区長は戸籍法二四条二項に基づき職権訂正の手続をとり、訴外神戸地方法務局の許可をえたうえ、同年四月七日、第一戸籍編成以後の原告に関する戸籍事務はすべて錯誤に基づくものであつたとして消除した。

(リ) 原告は同年五月二九日、訴外大阪市生野区長に対し、韓国国籍として外国人登録手続をし、同日、同区長から外国人登録証明書の交付を受けた。

(3)  原告は、〈証拠〉のような通知では、戸籍法二四条一項の通知としては不十分であると主張している。

しかし、同条に基づく届出人または届出事件の本人に対する通知は、戸籍訂正の申請をさせる前提として、戸籍の誤りを本人に意識させるためのものであるから、逐一、錯誤もしくは遺漏の内容を右通知に記載しなければならないものではない。本件では、原告は、昭和四八年一月一七日には、自分の戸籍と国籍とが誤つていることを知つたのであるから、〈証拠〉のような単に出頭を促すだけの通知で十分であつたというべきである。

また、戸籍訂正は原告の身分に関する重要な事項であることを考えると、長田区長が直ちに職権で訂正するよりも原告に事情を説明して戸籍訂正の申請をさせるのが相当であると判断し、原告の出頭を待つていたことは、戸籍法上相当な判断であつたといえる。

そうして、本件戸籍訂正事務が遅滞した原因は、原告が自分の戸籍と国籍とが誤つていることを知つていながら、長田区長の出頭要請に応じなかつたことにある。

このような本件戸籍訂正事務の経緯からすると、長田区長のとつた措置は、戸籍法上相当であつたといわざるをえないから、長田区長の本件戸籍訂正事務に過失は認められない。

(四)  結び

以上のとおり、長田区長の本件戸籍事務のうち、本件離婚届を受理して第二戸籍を編成したことに過失があつたことになる。

六被告らの責任原因について

長田区長は被告国の機関としての職務上の注意義務を怠つた過失により違法に本件離婚届を受理して第二戸籍を編成したものであるから、被告国は国家賠償法一条に基づき、被告神戸市は長田区長の給与の負担者として同法三条に基づき、各自長田区長が第二戸籍を編成して原告を日本人として取り扱つたために原告が被つた損害を賠償する義務がある。

七原告の被つた損害についての判断

(財産的損害についての検討)

(一)  韓国との往復旅費の損害

〇円

(1) 原告は、日本で第二婚姻の届出をするために日本・韓国間を最少限度四回往復することが必要であり、その費用として合計金一七万二、三八〇円を支出したが、本件戸籍事務により日本人として取り扱われていなければ日本で第二婚姻の届出をすることはなかつたから、右費用は本件戸籍事務と相当因果関係がある損害であると主張している。

(2) 〈証拠〉によると、原告は昭和四七年四月二二日、大阪市生野区長に対し、第二婚姻の届出をしたこと、原告は、同年三月三〇日、同年六月九日、昭和五〇年一月一四日、同年四月二四日の四回にわたり日本・韓国間を往復し、合計金一七万二、三八〇円の費用を支出したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(3) しかし、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、原告自身が韓国へ行かなければ日本で第二婚姻の届出をすることが制度上も事実上も不可能であつたことが認められる証拠がない。

(4) そうすると、原告主張のこの損害は理由がない。

(二)  招請手続費用の損害  〇円

(1) 原告は、日本人として行なつた招請手続の許可がおりなかつたため、右手続が無駄になり招請手続費用相当額の損害を被つたと主張している。

(2) 〈証拠〉によると、原告は昭和四七年七月一三日、中国観光株式会社に姜宣を日本に招請する手続一切を依頼し、訴外会社にその費用として金一二万円を支払つたこと、結局、姜宣の査証申請は中止処分になつたが、原告は右金員を返してもらつていないこと、が認められ、この認定に反する証拠はない。

(3) しかし、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、長田区長が原告を日本人として取り扱い第二戸籍を編成したために招請手続費用が無駄になつたことが認められる証拠はない。かえつて、姜宣の査証申請が中止処分になつた原因は、前記認定のとおり、原告が大阪入国管理事務所長の示唆と長田区長の通知を受けながら速やかに戸籍訂正の申請をせず、また入国管理局係員の通知を受けながら速やかに外国人登録手続をしなかつたためであるから、原告は自らの責に帰すべき事由によつて招請手続費用の損害を被つたというほかはない。

(4) そうすると、長田区長の本件第二戸籍事務と招請手続費用相当額の損害との間には法律上の因果関係が認められないから、この損害の主張はその前提を欠き理由がない。

(三)  同居している姜宣への仕送り費用の損害          〇円

(1) 原告は、日本人の前提でした招請手続の許可がおりなかつたため、昭和四八年二月から昭和五〇年三月まで姜宣と別居生活を余儀なくされ、毎月の仕送り費用相当額の損害を被つたと主張し、〈証拠〉によると、原告主張の期間、原告らが別居していたことが認められる。

(2) しかし、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、原告が当初から韓国人として招請すれば、昭和四八年一月一七日ころには許可がおり、同年二月から原告らが日本で同居できたことが認められる証拠はない。かえつて、姜宣の査証が発給されず別居を余儀なくされた原因は、前記認定のとおり原告にあることは明らかである。したがつて、原告主張のこの損害は、その余の点について判断をするまでもなく理由がない。

(精神的損害についての検討)

(一)  原告は、長田区長が第二戸籍を編成し、原告を日本人として取り扱つたために、国籍不確定の不安、別居による苦痛、長い間の日本国民としての生活を根本的に否定されたことによるシヨツク等の精神的損害を被つたと主張している。

(二)  しかし、次に述べるとおり、本件に顕われた諸般の事情を斟酌しても原告には法律上慰藉すべき精神的損害は認められないというべきである。

(1) 国籍不確定の不安について

原告は、二年間以上も国籍不確定のまま放置されたと主張しているが、前記認定のとおり、原告は、昭和四八年一月一七日には自分の国籍は日本ではなく韓国であることを知つたのであり、戸籍訂正が遅れた原因は、原告が長田区長の要請に応じて速やかに戸籍訂正の申請をしなかつたためである。このような事情を考慮すれば、原告に国籍不確定による精神的不安があつたとしても、それは原告自らが招いたものというべきであるから、この精神的損害の賠償を求めることは筋違いである。

(2) 別居の苦痛について

前記認定のように姜宣との別居も原告が速やかに戸籍訂正、外国人登録手続をしなかつたために自ら招いた苦痛であるから、別居による不便、苦痛は受忍すべきである。

(3) 日本国籍を否定されたことによる精神的苦痛について

(イ) 国籍は、ある国家の構成員としての法的地位を意味し、ある国がどの範囲の人にその国籍を付与するかは、その国の主権の作用で自主的に決定される事柄である。したがつて、原告が日本国籍を有するかどうかは、日本の法令により客観的一義的に定まつているから、原告が誤つて日本国籍を有するものとして戸籍上取り扱われたとしても、そのことから原告が日本国籍を取得したことにはならないし、原告には日本国に対しこのような誤つた法的地位を保護することを請求する権利がないことは勿論である。

そうすると、原告が長年誤つて日本国籍を有することを前提に生活し、行動してきたとしても、この信頼と生活利益は誤つた法的地位から生じたものにすぎず、このような法的地位が保護されない以上、このような信頼と生活利益は法律上保護すべき利益とはいえないから、日本国籍を否定されたことによる精神的損害は法律上認められないというべきである。

(ロ) 原告は、出生とともに日本国籍を取得したが日本の国内法上朝鮮人としての法的地位を有し、〈証拠〉によると、昭和二二年から第一婚姻の届出まで外国人登録法の適用を受けていたのである。それが誤つて第一戸籍が編成されたため、以後、戸籍訂正まで誤つて日本人として戸籍上取り扱われたもので、本来平和条約の発効と同時に当然韓国国籍を取得すべきであつた。原告は、本件戸籍訂正により本来の法的地位を顕在的に回復したにすぎない。そして、本件に顕われた証拠を仔細に検討しても、本件戸籍訂正と日本国籍の否定により、原告が原告と同じ法的地位にいる在日韓国人が通常受けている利益よりも法律上不利益を受けていることが認められる証拠はない。

そればかりか、〈証拠〉によると、原告は昭和五〇年三月一九日、長田区役所で三宅愛子から戸籍訂正の必要があることを説明されたとき、三宅愛子に対し、「自分は、もともと外人であつたから外人となることはかまわない。早く外国人登録をしたいから早く戸籍を訂正してくれ。」と述べて積極的に戸籍訂正に同意したことが認められ、この認定に反する証拠はない。

これらの事情を斟酌したとき原告が日本国籍を否定されたことにより、その主張のような精神的苦痛を受けたとは到底認められないし、仮になんらかの精神的苦痛を受けたとしても、その苦痛は、法律上慰藉を必要とする精神的苦痛に該当しないのである。すなわち、もともと韓国国籍しか有していない原告が、間違つて取得していた戸籍上の日本人の地位から正当な韓国国籍に戻つただけである。それだのになぜ日本国籍を失なつたことによる精神的苦痛を認めなければならないのだろうか。

原告は、誇高い韓国人であるのに、戸籍上日本人として扱われて屈辱感を味わつたというのなら、当裁判所はその精神的苦痛に対し慰藉料を認めることに吝かではない。しかし、原告は、反対にこの誇りをすて、間違つた戸籍上の日本人であり続けようとした節がみられる(原告が自ら二年間も戸籍訂正をしようとしなかつたことが、その証左である)。このような原告が、法律上慰藉すべき精神的苦痛を受けたとすることはできない。

八結論

以上の次第で、原告主張の損害はすべて理由がないから、本件請求を失当として棄却することとし、民訴法八九条に従い主文のとおり判決する。

(古崎慶長 下村浩蔵 播磨政明)

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